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140文字以上の主に本についてのつぶやき

『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』アンジェラ・チェン その4

今日は303ページから読みます。

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まずはほとんどすべての根底に見つかりうる、次のような大本の信じ込みに揺さぶりをかけることからだ。すなわち、セックスは私たちの原初的な本能の一つで、息をするのと同じく自然で自動的であるという信じ込みだ。これは誤っている。(321ページ)

「ノー」と言えなかった過去の自分を思い返している。
「嫌われちゃうかもしれない」とか「わたしを必要と思ってくれている(これはめちゃくちゃ幻想だと今ならわかる)」とか。
でもわたしはオープン・リレーションシップには全く興味ないなぁ。

「以下がセックスするよりも好きなことのリストだ」と詩人であり学者であるキャメロン・オークワード=リッチは、かれの朗読詩「カマトトのマニフェスト」を読み始める。「読書すること、仰向けに横たわり天井を見つめること、[]安物のウイスキー、バイクに乗ってパーティから帰ること」(381ページ)

オークワード=リッチの「セックスするよりも好きなこと」のリストは、多くのエースにとって馴染みのあるものだ。捻りがあるのは、他の活動を上位に置く際に恥ずかしいと思わないことである。このリストはマニフェストであり、弁明ではないのだ。(384ページ)

わたしお酒飲めないし、パーティとかあんまり行かないけど、
このリストの他にあるものが知りたいな。
なんだか好きなものがいっぱいありそう(検索かけてこの方のオフィシャルサイトを見たけど、この詩は載っていなかった)。

エースであることは、他の情熱にもっと焦点を当てるよい機会であり、セクシュアリティによってあまり惑わされないこと、筋書きを破ること、自分自身の心躍る体験と自分自身の価値を選ぶよい機会である。(385ページ)

アセクシュアルっていうのは、どういった条件で私たちがお互いと一緒にいたいかを理解する、もう一つの仕方にすぎない。それは、どのように人間がお互いを理解するかについて、また、私たちそれぞれがどのように関係に価値を置くかについて、とても誠実になろうとする方法(386ページ)

アセクシュアルについて学び、それを自らのものと主張することは変革的だが、強制的性愛それ自体が解体されないうちは、世界はエースたちにとってーもしくはみんなにとってもー安全で肯定的な場所にはならないだろう。(中略)私たちがそれを解体するのは、構造的変化を求めて戦うことによってなのだ。(387ページ)

戦いという言葉を使っているので、やっぱり過激に?壊したいのねって一瞬身構えたけど、そうじゃなくて、ここまでこの本に書かれてきた強制的性愛とセックスとそれに基づく社会の歪み、限界のありようにエースの視座を加えて、教えたり議論してもらったりするようになることが望みみたい。
実際にそういう運動も起こっているし、政界においてアセクシュアルを公表している人(アメリカ)もいる。

エースの解放はみんなを助けるだろう。エースの解放は、注意深く熟考された性的倫理と恋愛倫理に賛成しながら、性的なフツーさと恋愛的なフツーさを退ける際に達成されるものだ。(398ページ)

エースの解放の目標はひとえに、みんなにとっての真の性的かつ恋愛的自由という目標だ。エースたちに歓迎的な社会は、レイプ文化と決して相容れないだろう。女性嫌悪、人種差別、健常主義、同性愛嫌悪、そしてトランス嫌悪とも。(399ページ)

読み終わりました。
この本は「今ある正しいと思われている常識を疑え」と教えてくれました。

非常に有意義な読書体験でした。