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140文字以上の主に本についてのつぶやき

『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』アンジェラ・チェン その2

昨日の続きで、今日は103ページから読みます。

moyoco.hatenablog.com

男たちは女たちを支配するのに長らく恥の感覚を用いてきた。(131ページ)

もう一度確認しとく。セックスは政治的なものだ。誰が快楽を得るに値するかも、何が型破りだと考えられるのかも、そして、セックスの定義自体も、政治的だ。セックスとフェニミズムと解放の意味は、貧困の女性や有色の女性、障害のある女性や信仰を持つ女性にとって、異なるものだ。例えば、多くのパートナーがいる裕福な女性は解放されていると考えられがちな一方で、多くのパートナーがいる労働者階級の女性はクズだと考えられがちだ。クィアな女性はホモフォビアや、過剰に性的だというスティグマ、そしてフェティッシュ化に対処する必要がある。トランス女性は辱められ、ジェンダー自認を否定される。こういったことすべてのせいで、そもそも女性が自分のセクシュアリティを表出することは難しくなりうる。
だからといって、すべての性的に無関心な女性が抑圧されているということにはならない。家父長制の支配はしばしば、女性たちがセックスを楽しめないことの原因である。けれどつねにそうだということではない、性的自由のジェンダー不平等という真実と、女性には自らの性的欲望を称えるよう教えることの重要性は、女性の性解放は一つの姿しかないという考えへと歪曲していったーーーそして、それはかつての女性たちの生活とは反対の姿だった。過剰に訂正しても、問題は解決しない。恥とスティグマが再配分されるだけだ。(132133ページ)

この後にムスリム女性のフェニミストの例を挙げている。
性解放が女性解放ではない。(だけではないよね)

フェニミズムは正解がないからおもしろいというか興味深いなぁ。
どんな考えでも一つの考えが支配することは、害をもたらしうる、か。
だから他方の面への注目も必要。
でもこの考え方は、セックス・ポジティブ、もしくはセックス・ネガティブのみのフェニミストたちの考え方だよね?もっといろんな考えのフェニミズムもあるよね。

セクシュアリティのコントロールは、支配のための古典的道具で、男性によって女性に対し、白人によって有色の人々に対し、健常者によって障害者に対しーーーもしくは長いリストを短くしてみれば、権力者によって権力をあまりもたないものに対し、用いられてきた。(159ページ)

人生とは、マイノリティと権力をあまりもたない人々にとって、継続的な学び直しの過程である。(159ページ)

上記の人たちはアセクシュアルと主張することに困難をより感じる。
多方面から抑圧がかかっているから。

従順なアジア人女性のことを「チャイナ・ドール(またはゲイシャ・ガール)」と呼ぶんだって。
フェティッシュ化され、時に過剰に性的にされるらしい。

柔らかな語り口で、人に仕えたがり服従的だ、と。今日の合衆国では、東アジア人はお行儀のよい、手本となるマイノリティと考えられていて、(中略)自分の欲望や考えをほとんど持たないお行儀のよいアジア人というステレオタイプ162ページ)

わーお。ひとつの人種差別的ステレオタイプ

自分の人種を意識することなしに、また他人からどう見られるかという意識なしに生きることがどんなものか、私はまったく知らなかったということだ。(163ページ)

わたしこの狭い日本から出たことなく(海外に行ったことないの)、まさにこれに当てはまる。

このイメージは白人の視線の産物なのだから。(165ページ)

これらのステレオタイプ(黒人やラテン系の人々が性的に奔放だとか)のアメリカでの思い込みを思うと、以前読んだ『フェニミズムはみんなのもの』ベル・フックス著の違和感を感じた部分、当時の感想を読書メモから引用すると、

本書98ページ、「実際のところ、黒人やヒスパニック、アジア系などの有色の少女たちは、性に関して白人の女性たちとは違う行動をとることがあるが、そのことは有色の少女たちが性差別的な状況を内面化してしまっているというだけでなく、(以下略)」ここだけクエスチョン。これ偏見じゃない?

これの答えになる?

正真正銘エースだと感じるための鍵は、そういったステレオタイプを心の内からできる限り拭い去り、それらを信じる人々からできる限り離れることだ、と。(180ページ/アジア人男性でのトランスジェンダーアセクシュアルの方の言葉)

私は自分がアジア人、女性、エースであることについてどれほどアンビバレントに感じたかを、ここまでずっと描写してきたが、それをあるがままに呼んでみよう。それは内面化された人種差別とミソジニー、自己嫌悪であって、いつも白人の眼差し、男性の眼差し、アローの眼差しのために過剰に振る舞おうとしたがっていること、最も理解してくれなそうで、最も何も与えてくれなそうな人々からの承認をいつも気にし過ぎることなのだ。(187ページ)


ここテストに出まーす。

私たちエースが自分のしたいように性的な世界を突き進むために、性的惹かれを経験する必要はない。(189ページ)

私はまた、時を経て、何らの説明の必要もないと感じられるまで私たちが歩み寄り、また同時に、私たちがこういった他者から理解される必要性を投げ捨てられればいいと思っている。(189ページ)


今は第6章を読みはじめて、

セックスは種にとっての礎となる欲動なので、「それを欲さないのは、病気か、死んでるか、さもなくば嘘つきでしかない」のだ。(197ページ)

という問いかけから始まっています。
上記引用はアメリカの医療ドラマの医者のセリフらしいです。

HSDDアセクシュアルの違いとは何だろうか。もっと言えば、HSDDと「フツーの」レベルの少ない欲望との違いとは何だろうか。(200ページ)

HSDDhypoactive sexual desire disorder)性的欲求低下障害

偏見が人々の人生を困難にするからだ。(200ページ)

同性への惹かれを経験すること、もしくは何らかの惹かれすら経験しないことは、病気ではない。人が個別の経験を描写するのにどの言葉を使うかにかかわらず、だ。(201ページ)

人と違うからといって病気扱いし、なんでも薬作って売ろうとするところはイヤだね。

202ページまで読みました。これから夕ごはん作ります。

続きます。