ケイト・ショパンの『目覚め』を読み終える。
色々考えたり思うところがあるのだけど、言語化しようとすると言葉足らずになってしまう(不思議!)。
うまく書けないけれど、思いついたことをつらつらと書いてみよう。
いきなりネタバレになってしまうけれど、エドナは自殺ではなく不慮の事故死だと思う。
時々心が絶望感に苛まれるけれど、自分の置かれた他人から見たら恵まれている状況、これは夫の社会的地位もたぶんに寄与してると思うのだけれど(エドナ個人も母の遺産がある)、夫の出張の隙に屋敷を出て小さいながらも自分の家を手に入れ、でもだからこそ人生に悲観したわけではなく、かといって恋に破れ希望もないという他人から見たら自殺する理由はあるにはあるけれど、2月の海に入ってただ単に体力を消耗してしまっただけだと思うの。
海に行く前にヴィクターに魚が食べたいと言うけれど、これから死のうとしている人が、食事の要望を出さないと思う。
でも死の誘惑はふとした瞬間にやってくるのかも知れず、はっきり自殺の意思が本文に書かれているわけではないからどうとでも読めるか…。
エドナの家庭における妻、母という立場から自由になりたいという、「女性の自我の萌芽」という、おそらく数えきれないほどの昔から女性がある時気づき、でもアクションを起こせなかった(時代も世間も許さなかったと思う)数多の市井の女性が人知れず悩みそういう気持ちを諦めてきたかと思うと(わたしもその1人だ)、これは人間の女性の大命題というか人として生まれてきたからには避けられない問題だと思う。
この小説が書かれた100年前は今以上に女性は妻であり母であり夫の庇護者であれという所謂良妻賢母が美徳とされてきたけれど、エドナの場合きっかけはロバートへの恋心だったのかも知れないけれど、自分の心が自分のものではない、自由でないことに気づいてしまったのだよね。
この本に書かれているエドナの心境はたぶん男性には永遠にわからないとわたしは思う。
男性と女性の心は決して交わらない、永遠に平行線のままというのがわたしの今まで生きてきた中で実感?体得してしまったことだから。
悲しいけれどこれが現実だから。
自我に目覚めないで生きて死ねたらどんなにそれは幸福なことか。皮肉で言ってるのではないよ。
でもエドナもわたしも「目覚め」てしまったのだよね。だからこんなに苦しんでる。
勢いに任せて書いたので起承転結のない書き散らしたまとまりのない文章になってしまった。
全ての女性たちに幸あれ!