PARANOID ANDROID

140文字以上の主に本についてのつぶやき

『読書する女たち』ステファニー・スタール その1

今日からこの本を読み始めました。

育児のため新聞記者の夢を諦め、ライターとして働くステファニーは、 果てしなく続く家事と育児と仕事に追われ、閉塞的な日々を過ごす。
ある日、学生時代に読んだベティ・フリーダンの『女性学の神話』を再読し
感銘を受けた彼女は、母校でフェミニズムを学びなおす決意をする。
15冊の名著を授業形式でひも解き、現代の女たちが生き延びるすべを探すエッセイ。

読書はこれまでずっと想像の旅であり逃避の手段だったが、少なくともそれに劣らず人生や経験の複雑さを理解する手段でもあった。私にとって本は魔法のようだ。本は心に知識を与え、魂を変容する。〜21ページ

そうそう、わたしもそう!と膝を打つ。

率直に言ってこの本、とてもおもしろい。
本の中にわたしがいる!ってなってる。
そして、アウグスティヌス…お前のせいだったのか…と。

旧約聖書の創世記で、女性は妖婦であり、なぜならイヴは悪魔の唆しで禁断の実を食べ、且つアダムにも食べさせるという行為をさせ、また、女性は男性の一部として生まれたのだから男性に従うべしという解釈をしたのがアウグスティヌスだったとは。
それが時の権力者の利益に適っていたのとキリスト教の布教の一役を買うからという理由で採用されたという歴史があったとは。
そして若かりし頃のアウグスティヌスは放蕩な生活を送り、キリスト教徒でなかったということも知らなかった。

正直、毎日暑すぎてなかなか本を読む気にならなかったのだけど、今日から8月、新たな気持ちで本に向かいたいです。


『私は自分のパイを求めるだけであって人類を救いにきたわけじゃない』キム・ジナ

今日からこの本を読み始めました。

上野千鶴子さん イ・ミンギョンさん 推薦
韓国で発売直後から大反響 共感の声
自分の分け前を取り返したい女性のための野望エッセイ 待望の日本語訳

上野千鶴子氏 「男に伍して男が独占したパイを奪おうとしたキャリアウーマンの、 家父長制からの脱洗脳の闘い。 ほんとうはパイのレシピを変えなきゃいけないんだけど」
推薦 イ・ミンギョン氏(作家) 「キム・ジナの存在が心の支えになっているという人間は、 私だけではないだろう」

韓国ではフェミニズムに興味を持つ女性が増え、2019年の韓国女性政策研究院の調査によると、二十代の女性の48.9%が自分をフェミニストだと思っているという
〜5ページ訳註 

この数字、凄くないですか?
ひょっとしたらアメリカ以上かも?

うんうんと、共感というか、お国は違えどわかるわぁなるほどねぇと読んでいたが、下記で「ん?」となる。
長いが引用します。

何よりフェニミズムは平和主義でもなければ、モラルのための闘争でもない。男たちに奪われてきた女の分のパイを取り戻すための闘争なのだ。一言でいえば利権をかけた闘争だ。まずそのことに合意がなければならない。いい気分になりたくて、癒されたくて、もっと素敵な自分になるために、もっといい男をゲットするためにあるのがフェニミズムではないということ。自己啓発ではなく政治の領域なのだということ。フェニミズムは男性中心社会や家父長制に抗う生存をかけた闘争であり、解放運動だ。その基本的な合意ができれば、女たちは多くのことから自由になれる。体を締め付けるブラジャーを脱ぎ捨てるみたいに、社会が押し付けてくる道徳から脱することができる。
〜33ページ 

上記、わかるし理解できるけれど、
わたしはフェニミズムはあらゆる性差別をなくすためのものと認識しているので、ゆえに女性のためだけのものではないと思っているのだが?

でもここでまたわかるわぁとなる。

結婚、正確には結婚という名の家父長制からの脱出は、もっぱら私自身の選択だった。その考えは当時もいまも変わらないし、ラッキーだったと言いたい。心ではとっくに選択していても行動に移せないたくさんの女性がいることを、私たちは知っている。誰にとっても離婚はたやすい選択ではない。比較的あっさり離婚できたのは、はっきり言って自分の経済力のおかげだった。経済的といったって月給がすべてだが、自分の選択を実行できるレベルではあった。もし私と同じぐらいの所得があれば、どれほどの女性が翌朝には結婚生活を放り出して家を出ていくか、男には想像もつかないだろう。
〜42ページ(強調したのはわたしです)

下記、心にグサリとする笑。

社会学者の上野千鶴子は「ギブアップした女と鈍感な男の組み合わせ」が日本の夫婦の結婚生活を継続させていると言っていた。
〜47ページ

読み続けていたいけれど、歯医者さんの予約があるので出かけてきます。


『母親になって後悔してる』オルナ・ドーナト

昨日からこの本を読みはじめました。

子どもを愛している。それでも母でない人生を想う。

社会に背負わされる重荷に苦しむ23人の切実な思い。世界中で共感を集めた注目の書!

著者はイスラエルの女性社会学者で、この本の調査・研究母体は従ってイスラエル人女性なのだけど、確かイスラエル出生率って「3」を超えてるよね!?って思って興味深く読んでいます。

わたし自身について言えば、この本の著者と同じく「母親」にならない人生を選択した人間であって、それはなぜかというと、1番大きいのが、「自分の面倒も見きれていないのに、ましてや自分の子供の面倒など見れない」、「子供が14〜15歳くらいになるまで、自分のことは二の次にして子供ファーストでいなければならない人生は自分には向いていない」、あとは自分の自己肯定感が低かったというのもあるし、それにわたし自身が母親から今の言葉で言えばネグレクトされて育ったというのもあるかな。

今は以前ほど異性愛者と結婚したら子供を待たなければならないという無言の圧力は少なくなってきたかなとは感じるものの、でも一部の政治家ややはり世間には(男女問わず)、女性の生き方を今まで通りの型に嵌めた生き方をしろという考えを持っている人はいると思うし。
それが当たり前だったからという空気というか。
生物としての理というか。
こういうと語弊があるかもしれないけれど、男性は出すだけで終わって、女性は心身ともに自分以外の体の責任を負わなきゃならないんだよ。なんて大変なことか。。。

この本が女性にも選択肢はある、人生の選択は受け身ではない、ということに気づく端緒になれればいいな、と心から思います。


100ページと少し読みました。
印象的だった部分を引用します。

この厳格な、性別による親の労働の分担は、産業革命後の19世紀に、家と家族のとらえ方が変化するにつれて明確になった。「公共圏」の特徴は、合理性、進歩、有用性、競争力(通常は男性に帰する資質)だが、対照的に、家族である「私領域」は、愛、利他主義、思いやりといった感情や、世話(女性にとって「自然」と見なされる性質)と関連づけられていた。男性には家の外の有給の仕事が割り当てられ、中流階級の女性には、愛する人のために安全な港を維持すべく、献身的な妻や母として無給の家事労働を行うことが期待されていたのである。
19世紀以来、ナショナリスト、資本主義、異性愛規範、家父長制のイデオロギーが手に手を取って、性別による分業を維持してきた。なぜなら、母や主婦としての女性の無給労働がなければ、このシステムが崩壊するからだ。この分業が「自然の摂理」であり、それゆえ永続し、そのことが世界をより良くし、女性自身にも子どもにも利益をもたらすのだと協調されてきたのだ。
〜64〜65ページ


『ミライの源氏物語』山崎ナオコーラ

今日はこの本を読んでいます。

ルッキズムロリコン、不倫。現代を生きる私たちは名作古典「源氏物語」をどう読めるか〉
〈人気作家・山崎ナオコーラによる現代人のための「源氏物語」エッセイ〉
現代人が「源氏物語」を読むときのハードルとなるのは、ひとつは言葉の違い(古文の読解)、そしてもうひとつは倫理観や社会規範の違いです。本書は、社会の在り方に長く向き合ってきた作家・山崎ナオコーラさんが、深く愛する古典「源氏物語」 について、現代人ならではの読み方を考えます。より現代的な訳を目指した「ナオコーラ訳」も読みどころのひとつ。
ルッキズムロリコン、不倫。拭えない違和感を人気作家・山崎ナオコーラがときほぐす、現代人のための「源氏物語」エッセイ。】

源氏物語は、大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』、与謝野晶子のは読んでいないけれど、谷崎潤一郎吉屋信子瀬戸内寂聴橋本治の現代語訳を読んでいます。
この本は現代の社会規範に照らし合わせ、光源氏側からではなく、描かれる女性側に立ち、視点を当てて読んでいくという本です。

どの章も「ほほう!」と思いながら読んでいます。

わたし、これは仕方のないことなのだけど(と、言い訳をしてみる)、源氏物語光源氏側の男性目線で読んでいたことを恥じる気持ちが湧いてきます。
でもって、1000年前のフィクションなんだからそんなに目くじら立てて読まなくても良いのでは?と考えながら読んでいる自分もいての合わせ技の「ほほう!」です。
なにが言いたいのかというと、「とてもおもしろい」ということです。

では続きを読みます。


『やわ肌くらべ』奥山景布子

現代の韓国から次は明治時代の日本にタイムトリップです。

「別れた女に金の無心までして、あの人が目指すのは何なのでしょう――」
明治に浪漫主義運動の旗頭「明星」を創刊し、数多の才能を育てた与謝野鉄幹
その人生には、彼に身も心も翻弄された女性たちがいた。
「明星」の草創期を支え、子をなすも裏切られ続けた滝野、歌の才を愛されながら夭折した登美子、鉄幹の妻となり歌人として大成した晶子。
それぞれに訪れる鉄幹との修羅場、女たちのふしぎな連帯、そして鉄幹を凌ぐ歌人となった晶子の壮絶な運命とは――。
心も金も才能も燃やし、自らの足で歩み始めた明治女性たちの不屈の歴史恋愛長篇。

だから読書はいいですね。どんな時代のどんな場所にも行ける。

噂には聞いていましたが、たった数ページ読んだだけでわかる与謝野鉄幹クズ男っぷり。希代のダメ男というか山師というか。
(5/28追記:読み終わり、与謝野鉄幹は作中では在原業平に憧れてると与謝野晶子に思われてる設定なのだけれど、もしかしてポリアモリーなのでは?とふと思いました。)

そしてこの当時、いくら学校を出てもそれは良い縁談のためとしか思われなかった女性たちの辛さ口惜しさ、やるせなさ。

山川登美子の歌が悲壮です。

画筆うばひ歌筆折らせ子の幸と 御親の情け嗚呼あなかしこ

そして与謝野晶子のしたたかさ。

110ページまで読みました。
とてもおもしろくて久々に一気読みしそうです。
では続きを読みます。


5/28追記:夜中に起きて一気読みしました。
今年上半期に読んだ本ベストテンに入りますね。


『フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について──言葉にならないモヤモヤを1つ1つ「全部」整理してみた』パク・ウンジ

先程このながーいタイトルの本を読み終えたところです。

『82年生まれ、キム・ジヨン』を生んだ韓国発、「これからの世代」の必読書!

「仕事」「家事」「結婚」「社会」……
「気にしすぎかな…」とずっと自分に言い聞かせてきたけど、いつまでも引っかかるこの感覚はなんだろう?モヤモヤとし続けている目の前の問題を整理して、ちゃんと考えられるようになる大切な1冊。ついに日本上陸!

日本もお盆やお正月には夫の実家に帰るのだろうけど、そこでのお嫁さんの大変さ加減はそれぞれの家庭や夫氏の態度などでも異なるだろうけど、韓国の祭祀や名節というものはものすごいな、と。

名節とは

陰暦の1月1日に、1年のはじまりを祝う韓国の名節(伝統的な祝日)で、韓国では、西暦の1月1日よりも旧正月を大きな行事として祝う。 旧正月の当日と前後1日ずつの3日間が休みとなり、多くの人が帰省する。 親族や近所の人同士での挨拶や、茶礼(チャレ)と呼ばれる祭事などの伝統行事が行われる。

「秋夕/チュソク」は、韓国の代表的な「名節/ミョンジョル」です。「名節/ミョンジョル」とは、国が定めた国民的休日、記念日のこと。「秋夕(チュソク)」は、先祖に1年の豊作を祈り、感謝する行事。

先祖を敬う精神が根強くて儒教の文化の影響を受けてるのかな?
要は女性陣がキッチンで料理をしたり等々するのを男性陣は飲んで食べて等々をしてひたすらもてなされているのだそうです。
この日はお嫁さんは自分の実家に帰るのを婚家の父母(義父母)は嫌うそうです。
戦前の日本の「嫁に行ったら(親が死ぬまで)二度と実家の敷居は跨ぐな」的なもの?

日本も大概生きにくい世の中だけど、韓国も相当だなぁ、と思いました。
でもこのくらい社会が女性にとって理不尽なことが多いと、フェニミズムの浸透の仕方は日本の比ではないのでは?と思いました。


『たまたま生まれてフィメール』小川たまか

この本を読みました。

なんの絆か。
なんの呪縛か。
ときどきすごく滑稽に感じる。

結婚と夫婦別姓、政治とジェンダー、透明化される性犯罪被害者の声――。
性暴力を取材しつづけるライターの著者が、この国で生きる女性やマイノリティが直面する困難を問い直す、フェミニズム・エッセイ。

考えさせられる文章があったので、引用します。

企業広告を炎上させるのはネット上の一部の人たち。多くのユーザーは炎上の理由もよくわかっていない。炎上を見ても一歩引いてどっちもどっちだと思っている。社会問題も深掘りしない。都会で働く若い女性が気にいるモードなデザインよりも多少の野暮ったいデザインの商品が売れるのと同じで、人種差別もジェンダーも環境問題も、意識が高い人はほんの一握りだから、そこに訴えかけたって無関心。無関心ならば炎上のほうがまだいい。だから炎上マーケティングを仕掛けるヤケクソな人も出てくる。僕らは(注:これは広告業界の人)そういう視点でツイッター炎上を見ているだけで、差別をなくそうとか、そういう話は今はしていない。

社会問題に敏感な人たちが一部というのは、確かにそうかもしれない。けれどそこで冷笑や諦観に走るなら、それはなんと楽な道だろう。そして、彼らが社会の「暗い問題」のほうへは一本線を引いて、そこから先へ立ち入るのは鬼門であるかのようにふるまうのはなぜなのだろう。(113ページ)

自分も含めて当事者意識をもっと持って社会を見なければ、と思いました。
でも持ちすぎたり、共感したりしすぎるのも危険だと思うの。
中庸というか、ほどほどに、ね。

あと、Twitter上にはフェミニストのなりすましアカウントが存在する、と書いてあるのにも「やはり…」と思いました。
彼らが(多くは男性)「僕たちの考える愚かなフェニミスト」になりすまして、彼らが考える「フェミニストが言いそうなアホな主張」をツイートすると、それをフェミニストを叩く材料にする人がいるらしい。なにそのマッチポンプみたいなの。

なんだろ?
暇な人が多いのか承認欲求が拗れてしまっているモンスターみたいな人なのか…。
わたしは所謂「ツイフェミ」とフェミニストは別物だと思うのですが違うのかな?
SNSは苦手なの…。