PARANOID ANDROID

140文字以上の主に本についてのつぶやき

『母親になって後悔してる』オルナ・ドーナト

昨日からこの本を読みはじめました。

子どもを愛している。それでも母でない人生を想う。

社会に背負わされる重荷に苦しむ23人の切実な思い。世界中で共感を集めた注目の書!

著者はイスラエルの女性社会学者で、この本の調査・研究母体は従ってイスラエル人女性なのだけど、確かイスラエル出生率って「3」を超えてるよね!?って思って興味深く読んでいます。

わたし自身について言えば、この本の著者と同じく「母親」にならない人生を選択した人間であって、それはなぜかというと、1番大きいのが、「自分の面倒も見きれていないのに、ましてや自分の子供の面倒など見れない」、「子供が14〜15歳くらいになるまで、自分のことは二の次にして子供ファーストでいなければならない人生は自分には向いていない」、あとは自分の自己肯定感が低かったというのもあるし、それにわたし自身が母親から今の言葉で言えばネグレクトされて育ったというのもあるかな。

今は以前ほど異性愛者と結婚したら子供を待たなければならないという無言の圧力は少なくなってきたかなとは感じるものの、でも一部の政治家ややはり世間には(男女問わず)、女性の生き方を今まで通りの型に嵌めた生き方をしろという考えを持っている人はいると思うし。
それが当たり前だったからという空気というか。
生物としての理というか。
こういうと語弊があるかもしれないけれど、男性は出すだけで終わって、女性は心身ともに自分以外の体の責任を負わなきゃならないんだよ。なんて大変なことか。。。

この本が女性にも選択肢はある、人生の選択は受け身ではない、ということに気づく端緒になれればいいな、と心から思います。


100ページと少し読みました。
印象的だった部分を引用します。

この厳格な、性別による親の労働の分担は、産業革命後の19世紀に、家と家族のとらえ方が変化するにつれて明確になった。「公共圏」の特徴は、合理性、進歩、有用性、競争力(通常は男性に帰する資質)だが、対照的に、家族である「私領域」は、愛、利他主義、思いやりといった感情や、世話(女性にとって「自然」と見なされる性質)と関連づけられていた。男性には家の外の有給の仕事が割り当てられ、中流階級の女性には、愛する人のために安全な港を維持すべく、献身的な妻や母として無給の家事労働を行うことが期待されていたのである。
19世紀以来、ナショナリスト、資本主義、異性愛規範、家父長制のイデオロギーが手に手を取って、性別による分業を維持してきた。なぜなら、母や主婦としての女性の無給労働がなければ、このシステムが崩壊するからだ。この分業が「自然の摂理」であり、それゆえ永続し、そのことが世界をより良くし、女性自身にも子どもにも利益をもたらすのだと協調されてきたのだ。
〜64〜65ページ